クラシック音楽中心にあれこれ書いてます。スポーツ、歴史(特に日本古代史)、グルメのこともたまに書きます。

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8日ぶり マーラー交響曲第8番/テンシュテット

ふぅーーーー。

さっぱりしたー。
8日ぶりにお風呂に入ることができました。
ひとっ風呂浴びたあとは、飛騨高山のおみやげにもらった「天領おぐら」を食べて、淹れたてのコーヒーをすすった
何日かぶりで人の生活をすることができた
幸せだー。

さて、今年はマラーイヤーでありました。
大晦日の今日は最後を締めくくるに相応しいCDレビューは、マーラー交響曲第8番「千人の交響曲」/テンシュテット/ロンドンフィルのものです。
本文は本体に書いてあります。
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今日は体調が90%回復したのでベートーヴェンの「第9」を聴きました。
フリッチャイ指揮のベルリンフィルです。レコーディングされたのは1958年です。
バリトンがディースカウで素晴らしいのとテノールとソプラノも凄く良かったですね。
またこれはこれでCDレビューを書きたいと思います。

さて、皆様、今日は大晦日です。
いかがお過ごしでしょうか?
インフルエンザは改めて考えてみても恐ろしいウィルスです。
くれぐれも手洗い、外出時のマスク、うがいなどの予防を徹底されることをご推薦致します。
言われるまでもないという方も大勢いらっしゃるかとは思いますが。
今日と正月を楽しく過ごしましょう。

良いお年をお迎えください。
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まだ良くならないです

23日にインフルエンザにかかってから今日で8日目。
熱は23日~25日の間は凄い上昇したのだけれど、その後は平熱。
しかし、26日に熱が引いて治ったと思ったのもつかの間、あっさり、鼻と喉をウィルスにやられた。
27日までは鼻水がひどかったのだけど、28日から咳きがもっともひどくなって再び寝込んでしまった。
28日に医者に診てもらい、のどと咳き止めの薬を処方してもらった。
なんとか今年中に完治したいのだが、それは無理かもしれない。いやいや微妙なところだ。
下痢も治まったし。
それにしても、今回の風邪はフルコースだった。
インフルエンザで高熱を出す。
また、関節痛、筋肉痛、頭痛、下痢で苦しんだ。
その後、喉、鼻に移って、鼻水、クシャミそして、まだ続いている咳き。
風邪をひいたときに出そうな症状全てだ。

昨日は息をするだけで喉が刺激されて咳きが出ていたが、今日はある程度楽になった。
だからこそ、こうしてブログを更新できているのだが。
果たして明日も更新できるだろうか...

あ、そうそう、この1週間風呂に入ってません
明日こそは入りたい。
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まだまだツライです なぜかベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番

インフルエンザの熱も収まり、随分楽になりましたが、喉と鼻がヤラレてしまってまだまだしんどいです。お腹もやっぱりまだ下痢。
ブログをこうしてなんとか更新していますが、この記事はホンチャンの記事ではありません。
本当は魏志倭人伝 伊都国編を書きたいのですが、頭がぼ~っとして考えがまとまらないのとしんどいのと両方でこのような記事になってしまってます。

インフルエンザの熱にうなされているときは、どういうわけか頭の中でベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番がぐるぐる何度も何度も流れていました。もうウンザリです^^;
第9はこれから聴こうと思っているので、第9じゃなくてよかったです^^

今年も後残すところ本日含めて5日ですか、今年は第9はノイマン/チェコフィルによる市民フォーラムでのライヴを12月上旬に聴きましたし、チェリビダッケのも聴きました。そして、トリに聴こうと思っているのがフリッチャイ/ベルリンフィルのもの。でも、体調が良くならないと聴く気にならないです。長い曲ですから。結局、聴かないかも...
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つらかった~

今月の17日にインフルエンザの予防接種をした。
5年ほど前インフルエンザを舐めていて、ヒドイ目にあってからここ数年予防接種をしている。
で、17日に接種したのだが.....一足遅かった.....
5年ほど前にインフルエンザにかかったとき、会社にいるとき、何やら悪寒がするなあ、早めに帰ろうかな程度だったのだが、帰宅する為、車を運転中にあっという間に体温が上昇し、少し怖くなり、途中車を停車させて少し休んだほど。しかし、休んでも改善するはずもなく急いで帰宅した。そして、3日3晩40度近い熱との戦いであった。それはもう、こんな経験2度とイヤだというものだった。

で、今回、健康管理に隙があったとは思えないのだが、かかってしまった。
今回も最初は何やら悪寒がする程度だった。しかも体温は上昇しているという感覚がなかった。だから、夕食を食べて総合感冒薬ベンザを飲んですぐふとんの中にもぐりこんだ。一応体温計で熱を測ってみたら36.7度だったから、たいしたことはないなと思ったし、インフルエンザではないなと思っていた。23日夜のことである。

ところが、夜中に目が覚め、すぐに気が付いたのは関節が痛いこと。なんじゃこれは!と思いインフルエンザかも?と思い、まさかなと思いながらも体温を測ったら37.8度に上昇していた。しかも下痢をした。私は過敏性腸症候群なので、下痢はときたますることがある。だがら、さほど下痢は気にしなかった。しかし、関節痛や筋肉痛がだんだんひどくなり、特に背中の筋肉が痛くてしかたがなかった。結局、朝まで眠れなかった。

そして、24日クリスマスイヴ。インフルエンザウィルスが体の中で暴れまわった。前回ほどではなかったのは熱が40度近くまで上昇しなかったこと。前回はまじめに死ぬかと思った。今回はそこまではいかなかった。しかし、ツライことには変わりはなかった。下痢はひどくなる一方、お粥を食べても下痢した。関節痛と筋肉痛でやはり夜眠れなかった。ベンザを飲むと熱は結構下がるのだが、2、3時間ほどで元通りに体温は上昇した。頭痛もし始める。。

25日、クリスマス。相変わらずヒドイ下痢。頭痛もヒドくなった。クシャミ・鼻水が出ないことは助かった。熱は37度あたりまで下がった。が、あまりの寒さに上布団を4枚重ねにした。すると、寒気は和らいだ。3食ともお粥。夕食後、過敏性腸症候群がひどくなったときに処方してもらったイリボーという強力な薬を飲んでやった。そしたら、下痢は止まった。

本日26日、熱は平熱に戻り、上昇することもなくなった。下痢もイリボーの効果が持続している。関節痛と筋肉痛もなくなった。頭痛もロキソニンを飲んだら治った。ところが、午後になって、今度はクシャミと鼻水が滝のように出始めた。

もう、いい加減にしてくれ!

皆様、くれぐれもインフルエンザにはお気をつけ下さい。

(やはり、外出時、マスクをしなかったのがいけなかったのか.....)
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リスト ラ・カンパネラ,ハンガリー狂詩曲第2番

今年も後残すところ9日あまりとなってしまいました。
今年はマーラーイヤーですが、リスト生誕200年というリストイヤーでもあります。
といいながら今年と言わずブログを開始してから本日に至るまで、リストの曲を1曲も取り上げてこなかったのですが、今日は取り上げようと思います。なんてったって生誕200年ですから。でも、イマイチ盛り上がっていなかった気がします。
で、私はピアノ曲をあまり聴かないのですが、それでもリストと言えばピアノですから、「ラ・カンパネラ」は知ってます。カンパネラはもともとパガニーニが作曲した曲ですが、本家のヴァイオリン協奏曲よりも、リストのピアノ編曲版の方がよく知られています。


そして、もう1曲。
トムとジェリーでも有名らしいですね。
子供のころトムとジェリーはよく見てましたが、いつこの曲が流れていたのか忘れてしまいました。
ハンガリー狂詩曲第2番です。
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魏志倭人伝 末盧国編

末盧国とは、現在の唐津市(松浦)と比定されている。
壱岐国から海を渡ること千余里で末盧国に到着すると書いてある。
好んで魚鰒を捕る。また、漁法は潜水して捕るとも書いてある。
鰒とはあわびのこと。
森先生曰く呼子という所に旅したときは海岸に沿って1列に人家がぎっしりと並んでいたそうである。
また、人家の前の道では有名な呼子の朝市がでるし、旅館や海産物を商う店があるそうである。
やはり、古代から綿々と漁業が続いてきたのではなかろうか。
本を読んでいるとそう思えてしまう。
人口はというと4千余戸とあり、この国で帯方郡の人口を超えてしまっているし、対馬国、壱岐国、末盧国の人口の合計で既に楽狼郡と帯方郡の人口の合計を上回る。その当時倭国は30国程度から成っていたということらしいから日本の人口は朝鮮の人口を遥かに凌駕していた可能性は高い。しかも、30国というのは九州のみの話である可能性も高いのだ。(私は邪馬台国九州説が正しいのではと思っている)

そして、ややしつこいが、この末盧国でも漁業を生業にしていたようだ。ということは、ここでも飢饉とはあまり関係ないはずである。

次回は倭人伝で1番多くの字数を使った国、伊都国について。
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忘年会ならぬ飲み会

忘年会というわけではないが、飲み会にいってきました。

飲んだところは名古屋駅。駅コンコースの途中にある「うまいもん通り」に「赤い鳥」という焼き鳥屋がありまして、そこで飲んできました。焼き鳥屋としては値段は少し高め。それもそのはず、名古屋駅コンコース内にあるということと鶏肉は名古屋コーチンか三河地鶏を使用しているため。やっぱり美味しかった。以前はお昼を食べに行って名古屋コーチンのひつまぶしを食べてそれはもう幸せの極みだった。

色々注文したが、写真を撮ったのは2品だけです。すみません。
名古屋コーチンの串盛り合わせです↓
003_20111220212040.jpg
レバーは表面はパリッと焼けていて、中はとろっとしていました。
5本とも美味しかったー^^

土佐風の名古屋コーチンのたたきです↓
001_20111220212055.jpg
上に乗っかっているのは玉ねぎのスライスです。
こちらも美味かったー^^

締めは和歌山とんこつラーメンを食べてきました。写真なしです。でも、美味しかったです^^

その後、コーヒーが飲みたいということになり、喫茶店へ。
そしたら、美味しそうなケーキがあり、つい一緒に注文してしまいました^^;
めちゃめちゃうまかったですよ^^
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魏志倭人伝 壱岐島編

壱岐島は対馬島と違い、険しい山々があるわけではないと書いている。家の数は3000ほどあると書いてある。まあ3000戸だろう。対馬よりも2000も多い。楽浪郡の戸数とあまり変わらない。島でこの数は相当であると思われる。対馬同様、壱岐島もいかに繁栄していたのかが分かるというもの。田畑も対馬より多いのだが、それだけでは島民は穀物を食べていけなかったらしい。で、対馬の人達と同様に広範囲に交易を行っていた。倭人伝には書いてないが、やはり漁業が盛んだったようだ。遺跡から鯨の骨が見つかっているほど。

ここまで読んで思うことは、やはり対馬編を読んだときと同様で、なぜ「相攻伐」していたのかということが疑問として残る。漁業中心であれば、現代のように根こそぎ魚を捕っていくようなことはしないので、稲作と違い凶作という状況にはまずならなかったはずである。だから、対馬、壱岐は倭国内の内乱とは一線を画していたのではないだろうか。倭人伝のどこで「相攻伐」という言葉が出てくるか注目である。
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バルセロナ VS サントス

FIFAクラブワールドカップの決勝 バルセロナ VS サントスを見た。
最初に一言、「なんちゅーチームだ!!」
もちろん、バルセロナのことです。
何が凄いって、ボールをほとんどバルセロナが持っていたこと。
サントスは南米王者なんですよ。
そのサントスでさえもボールを奪えないという試合だった。
確かにメッシは凄い。
でも、バルサの凄いところはメッシだけではないところ。
他のメンバーも凄い。
まるで、スペイン代表チームのようだった。
それもそのはず、スペインが優勝した前回ワールドカップに出場していた選手が主力だった。
パス回しが巧いとかいうレベルじゃない。
サントスがボールを取りに行こうとすると、わずかな穴が出来る。
すると、その穴をするするっとパスを繋いで抜けていってしまうのだ。
南米王者から4点も取ったチームはかつてあっただろうか。
しかも、完封で。
私は知らない。
強いなんてもんじゃない。
このチームに勝てるチームなんて世界中どこにもいないんじゃなかろうか。
だからこそ、クラブ世界一なんでしょうけど。
バルセロナ恐るべし!
度肝を抜かれた。
サントスの選手も度肝を抜かれたのではないだろうか。
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マーラー 交響曲第9番/マズア&ニューヨークフィル

どんどん深みにハマっていってます。
何かと言うと、日本古代史です。
今日も本屋をハシゴ(星野書店~三省堂~丸善)して古代史本を仕入れてきました。
どれもこれも読んでみたくなるような本ばかりでした。
そんな中「邪馬台国への道」という本をネットで見つけて、非常に面白そうと思って今日本屋で立ち読みをしたのですが、難しい本でした。見出しを読む限りなんとか読んでみたい説の本なのですが、ちょっと難しすぎて手が出ませんでした。
で、購入した本はというと
「邪馬台国」はなかった―解読された倭人伝の謎 (古田武彦・古代史コレクション)「邪馬台国」はなかった―解読された倭人伝の謎 (古田武彦・古代史コレクション)
(2010/02)
古田 武彦

商品詳細を見る

この本です^^
ちらっと中身を読んでみたら、「お、コレは読めそう。しかも面白そう。」と思って買いました。

さて、今回のCDレビューもマーラーです。
交響曲第9番です。
演奏はクルト・マズア指揮のNYPです。
私はマズアという指揮者が結構好きなんです。何がいいってオーソドックスな演奏をする指揮者だと思うんです。オーソドックスと言えば1番最初に名前が上がるのはハイティンクなんじゃないかと思うのですが、マズアも負けていないと思います。ただ、私のマズアに対する印象はベートーヴェンに限っています。独墺系の指揮者がマーラーを指揮することは稀ですが、この演奏を聴くと独墺系指揮者はマーラーをよく理解していないんじゃないかと思うんですよね。マズア一人聴いただけで判断するのは危険なんですが、前期ロマン派までの曲を指揮するような感じでマーラーを指揮しているような気がします。これではマーラーの良さは表現できないような気がするのですが、どうでしょう。
本文も読んでみてください。
本体HPに書いてあります。
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魏志倭人伝 対馬国編

引き続き森浩一先生の「倭人伝を読みなおす」を読んでいます^^

今回は対馬国編。

この本には対馬のことも結構細かく書いてあります。対馬の自然環境、その当時の人口、国民(住民)の生活、そして祭祀のこと。私は今まで対馬のことは残念ながら地図で見ることぐらいしか知りませんでした。が、この本を読んで一度訪れてみたいなあと思います。ですが、名古屋からではあまりに遠いので無理でしょうけど...

まず、自然環境は卑弥呼の時代では各邑(集落と言うべきか町というべきか分かりません)ごとの移動は船での移動だったらしいです。なぜ、船かというと険しい山々がそびえ立っているからなんです。でも、古代では対馬は一つの国となっていたわけで人口も侮れない数だったと思います。対馬国の戸数は1000戸。その当時、邪馬台国が属していた帯方郡(朝鮮半島中部)の戸数は4900戸であったから、この数字と島ということを考慮すれば、その当時かなりの人口であったと思われる。

さらに、対馬国の人達は朝鮮とも交易をしていたし、北部九州、ひいては瀬戸内海地域とも広く交易を行っていたようである。私は出雲とも交易していたと思う。交易の品目は主に海産物だが、お金の役割をしていた物はお米ではないかということらしい。天然の真珠も捕れた。立派な邑だったのではあるまいか。

また、平安時代に著された「延喜式」の神名帳によると京都の政府が掌握していた9国2島からなる西海道にある107の神社のうち、対馬の神社は29社もあり神社がもっとも多い国である。それだけ人口も多く栄えていたのだろう。

対馬のことをこうして読んでみると、食料は海産物が主だったことが分かる。思うに、海産物は基本的に稲作のように不作の年というのはないと思われる。だから、対馬の人々は凶作に苦しめられることはほとんどなく、裕福な生活をしていたのではないだろうか。攻め込まれる危険はあっても攻め込むということはしなかったのではなかろうか。魏志倭人伝に言う「相攻伐」とは一体どこの国のことを言っているのだろう?という疑問が生まれた。
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とんかつ和幸のかきフライ盛り合わせ御前

初めに書いておきます。
今回、写真はありません。

今日は久方ぶりにとんかつ和幸で夕食を食べました^^
和幸のとんかつはサックサクでもって肉は柔らかく、一口食べるごとにそれはもう幸福が倍増していく。今日食べたのはカキフライ盛り合わせ御前である。ヒレカツ1個とエビフライ1個とカキフライ3個。和幸の良いところはとんかつだけではない。ごはん、キャベツ、しじみの味噌汁がおかわり自由なのだ。このサービスにより幸福度はさらに増す。よって、他のとんかつ屋を圧倒することになるのだ。普通のとんかつ屋では太刀打ちできないであろう。だから、どんどん全国に店を展開し成功しているのではあるまいか。

さて、先日の記事で誤解があってはならぬと思い、いや、誤解はないと思うが一応以下のことを書いておくことにする。何かというと皇国史観について私は賛成というか賛同しているわけではないということ。私が言いたかったのは、天皇の正統性を述べた書物を書き残してくれたことに感謝しているのではなく、歴史上の事実が隠蔽されている部分もあると思うが、隠しきれていない部分もあり、そこをヒントに史実を抽出することが面白いので、そういった意味で面白い神話・歴史書を書き残してくれたご先祖に感謝と書いたのである。どうぞ誤解の無きよう。

ところで、ここのところアクセス数が増加した。これは嬉しいことなのだけど、何故増加したのかよくわからない。というのもアクセス解析を見る限りグーグルやヤフーなどの検索にひっかかって訪問してくれる人はクラシック中心の読者ばかりなのだ。それに対して私は古代史ばかり記事にしている。よー分からん。とにかくご訪問感謝である^^
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レイソルなかなかどうして

FIFAクラブワールドカップの準決勝
柏レイソル VS サントス(ブラジル)
を見た。

前半19分で1番注目されていた19歳のネイマールがゴールを決めた。
印象はなんちゅー19歳だ!?というもの。
ココに蹴ったらキーパーは届かないだろうというところへいとも簡単にあっさりとゴールを決めた。
そして、23分にはボルジェスがすぐそばにディフェンダーがいるのにもかかわらず、これまた「こんなのキーパーは止められないだろう」というシュートを放ち2点目。後半18分にはフリーキックからコレも超技ありのシュートで3点目を取られた。
どのシュートも見ている人を唸らせるものだった。
だが、3点取られたとは言えレイソルもすんごいがんばっていたと思う。
後半9分に酒井の素晴らしいヘディングシュートが決まった。
その後もレイソルは果敢に攻め続けた。
決して、気合いだけで空回りの攻撃ではなかった。
1点入れた後もサントス相手に何回か決定機を作っていたのだ。
惜しいシュートはいくつかあったが決められなかった。
私はレイソルのファンではないが、ゲームを見ていて、いつの間にかJリーグを代表するチームとしてのレイソルを応援していた。
それほどレイソルは予想以上の戦いをしたと思う。
Jのチームで今日のレイソルのようにサントスとハイレベルの試合ができるチームが果たしてあるだろうか?
レイソルは偶然Jリーグのチャンピオンになったのではないことがよ~く分かった。
いい試合だったと思う。
こういうチームはたとえ負けても応援しがいがあると思う。
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日本神話の世界

今日は、魏志倭人伝からは話が逸れます。
神話について。
日本以外の国の神話というと、何か教訓めいたものを感じます。
私が外国の神話で知っているものというと、オペラにもなったドイツの指輪の物語が思い浮かびます。
オペラ名は「ニーベルンゲンの指輪」です。
そのオペラにも教訓があります。
底知れぬ力を手に入れようとも必ずしも幸せになるとは限らない。
また、自分の力を過信し過ぎることの危うさ。
などです。
一方、日本の神話には教訓めいたものはあまりありません。
いや、あることはあります。
邪な者が痛い目にあったり、純粋な者が勝利したりします。
しかし、神話の根本は天皇の正統性を表した物語です。
天皇のご先祖様を辿っていくと日本を作り上げた神にたどりつくというものなのです。
戦後、皇国史観に対する反発から、この神話は全てが絵空事であるという説が通説になりました。
が、その通説を覆すような考古学的発見が出雲で相次ぎました。
神話の内容を全て絵空事と解釈してしまうのはどうなのか?という先生もいらっしゃいます。
そうなんです。
以前も書きましたが、神話の中にも事実が隠されている部分があるのです。
果たして、世界中を見渡して、物語の中に史実が隠されているような神話を持っている民族はいるだろうか?と考えたとき、日本の神話は稀有なケースではないかと思うわけです。

何が言いたいかというと、このような面白い神話を残してくれた日本のご先祖様に感謝であるということ。
ただ、一つだけご先祖に注文をするとすれば、邪馬台国のことを書き残して欲しかったということ。
出雲の過去までよ~く知っているのだから、邪馬台国のことを知らないというのはオカシイのである。
人によっては邪馬台国は出雲だったと言う人もいらっしゃるようですが.....(それはそれで非常に面白い説だと思います。私の中ではアリです。)
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魏志倭人伝を読みたおす

森浩一先生の「倭人伝を読みなおす」を読んでいます。
第2章「東アジアの中での倭人伝」を読み終えました。

改めて思ったことは、3世紀という恐ろしく古い時代にもかかわらず、その当時の倭人すなわち日本人は非常に活発に交易をしていたのだなあということです。
しかも3世紀は激動の時代です。
2世紀後半から3世紀前半にかけて中国では三国志の時代でして、その動乱の影響がここ東アジアの倭国にも及んでいたということだそうです。
その辺のことを少し書きたいと思います。
まず、三国志随一の強国である魏の国を興したのは曹操でした。
揚子江の南側の呉を建国したのは孫堅。
そして、諸葛孔明で有名な蜀の国を興したのは劉備です。

曹操はまだ魏を興す前は黄河以北の強力な勢力袁召軍と天下を左右する決戦を行い、勝利します。その勝利の後、袁召の息子たちをも次々に撃破していきます。袁召の息子で最後まで戦ったのは袁尚です(確か)。そして、袁尚は曹操軍に負けに負けて、その当時、遼東半島あたりから朝鮮半島中部までおも掌握していた公孫勢力を頼り落ち延びていきます。しかし、公孫勢力は袁家から圧迫を受けた過去はあっても助けられた過去はなかったのです。そういった事情もあり、逃げてきた袁尚をあっさり曹操に引き渡してしまいます。それにより袁家は滅びることになります。そして、公孫勢力は曹操の力を恐れて恭順します。
で、ここで倭人です。森先生は公孫勢力に女王国も南部朝鮮国家も属していたと倭人伝から読み取れると言います。私も同感であります。
中国に話を戻します。
時代は進み、魏、呉、蜀が鼎立して後、蜀の関羽が死亡した後、曹操が死亡します。関羽の死亡は蜀にとって大打撃でした。蜀の中でNO.1の将軍だった関羽を失ってしまったことに加え、魏に攻め込むための重要な二つの足場を一つ失ったことになったからです。ここから、諸葛孔明の厳しく過酷な対魏戦が始まります。到底敵うはずのない敵国、魏に向っていったのです。しかも、天才たる所以か、常に優勢に戦いを進めます。しかし、孔明と戦っては勝てないと悟った魏の智将司馬慰は防備一辺倒の戦いで孔明率いる蜀軍をしりぞけていきます。司馬慰が邪魔な存在であると認識した孔明はとある手を打ち、それが見事に成功し、司馬慰は失脚させられたりしました。後に司馬慰は復帰します。そして、孔明と呉は、策略により、魏の背後にあった公孫勢力を魏に叛かせることに成功します。このとき公孫勢力を率いていたのは公孫淵です。この策略を知った司馬慰はすぐさま軍を遼東に向けて軍を発し、公孫淵を滅ぼします。
で、ここで卑弥呼の登場です。公孫勢力に属していた女王国は公孫勢力が滅ぶと同時に魏に対して使節を送ります。このとき、魏の皇帝から親魏倭王の称号や金印、銅鏡などを送られたわけです。

ということが東アジア地域での時代の流れです。三国志フリークにはたまらない話ではないかと思います
もともと、「魏志倭人伝」は「三国志」の一部ですから、当然、三国志に話が絡んでくるわけです。

もし、諸葛孔明が呉と共謀して公孫淵を魏に叛かせるようなことをしなかったら、卑弥呼は魏の皇帝に使節を派遣することはできなかったのです。
さらに言うと、諸葛亮孔明や司馬慰仲達がいなかったら陳寿が著した「三国志」に倭人や卑弥呼のことが載ることはなかったでしょう。
因みに、陳寿は孔明の元部下です。

次回は第3章を読んでいきます。
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マーラー 交響曲第6番/ノイマン&チェコフィル

今年もあっという間に師走になり、そして、師走ももう1/3を過ぎました。
子供の頃は歌にあるようにお正月が楽しみでしかたがなかった。
小6で第9を知ってからは、毎年年末が楽しみになったし。
第9を知る前は年末の紅白歌合戦が楽しみだった。
そして、現在は.....特にない。
第9は年末に聴いても以前ほどぐっとくることが少なくなった。
お正月もそれほど楽しみというわけではなくなった。
しかし、楽しみがないわけではない。
お正月の唯一と言ってもいい楽しみは食べること
今から雑煮が楽しみだー!
それから年末の楽しみ.....それも食べること
太るはずだ
現在、体重68kg。
夏は65kgだったから3kgも太った。
食欲の秋を過ぎても食欲は衰えない.....
ふーーーー
どうしたものか.....
えーーい、食べてしまえ!
というわけで年末もよく食べることにします。
うっぷ

さて、今回のCDレビューは、マーラーの交響曲第6番で演奏がノイマン&チェコフィルのものです。
今年はマーラーイヤーですから、HPを更新できる回数はもう限られていますが、極力マーラーの曲を紹介していきたいですね。
本文は本体ホームページに書いてあります。
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博物館へ行ってきました

名古屋市博物館へ行ってきました。
小学生以来だからウン十年ぶりになります。
見れたのは常設展のみ。
ま、常設展が目的だったからいいんですけどね^^

写真撮っていいのか訪ねたらOKとのことでしたので、携帯で撮ってきました。
もちろん、全て撮ってきたわけではありません。

まず、高さ6、70センチもあろうかという大きさの土器。
これは、食べ物を煮炊きするときに使ったもののようです。
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続いて、獣の骨で作った釣り針。
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こちらは、縄文土器。
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そして、縄文から弥生になると銅鐸が出現します。この銅鐸は名古屋城の堀から出土したそうです。大きさは1mにもなろうかというサイズです。
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そして、銅鏡。右の鏡は随分小さかったです。直径12、3センチほどでした。
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銅鏡って意外にも薄っぺらいものでした。
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遠賀川式土器。大きいです。
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この辺は古墳時代に突入している土器ですが、このような形状の土器は珍しいのではないのかなあと思いながら眺めてました。
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もっと凄いと思ったのがこの土器です。台の上にお椀のようなものが7つも乗っかってます。古墳時代の人はこの台をぐるっと囲んで色んな料理を食べていたのかなあなどと思ってしまいます。
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小学生の頃とは比べ物にならないくらい充実した展示物が並んでいました。
行ってよかったです^^

で、帰りに博物館の近くのラーメンへ寄ってきました。その名もラーメン桜屋。
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とんこつラーメンでした。
とんこつのわりには味が薄味でした。チャーシューが美味しかった。
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今回もCDレビューはなしです。
更新は不定期になってしまいました^^
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魏志倭人伝を読む

引き続き「倭人伝を読みなおす」を読んでいます。

魏志倭人伝の冒頭は、「倭人は帯方東南の大海の中にあり」で始まる。
その当時の各国の勢力図を見てみよう。
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(クリックすると地図は拡大表示されます)

地図を見ると、帯方郡とするよりも韓の南東とする方がしっくりくる。
なぜ、倭人伝は帯方郡の南東の大海の中としたのだろう?という些細な疑問をも、この本は呈示する。
面白い。
そこから始めるの?と思えるほど、深く深く掘り下げていくのである。
この本、はっきり言って期待できる^^

もともと、この本の内容は西日本新聞で連載していたものが基本となっているからか、各章の中に第1回、第2回という風に回で話が区切られている。その各回のページ数は4ページないし5ページと短いので、これがまた読みやすい。

ところで、その当時の日本国内は倭人伝にもあるように「相攻伐」とあり、内乱状態が続いていて、その戦乱はどうして朝鮮半島にも及んでいなかったのか?不思議に思う。その当時、国境線など無いに等しかったのではないだろうかと思うと、なぜ、海を越えて朝鮮をも巻き込んだ戦いが繰り広げられなかったのか疑問に思うのである。もし、海が大きな障壁となっていたというなら、九州と本州の間にも馬関海峡(関門)があるから、倭国内の戦乱は実は九州だけの話だったのではあるまいかなどと勝手に想像してしまう。そもそも戦乱になった原因は何か?ということも知りたい。やはり、飢饉だったのだろうか...

また、その当時の強国出雲と北部九州は密接な関係にあったらしいのだが、倭人伝には出雲のことが書いてない。一体なぜなのか?疑問は深まる。だから、古代史は面白い。また、自分で仮説を考えるのが楽しいんだよね、これが。

歴史好きの人は結構いると思うんだけど、戦国時代に興味がある人が圧倒的多数を占めている。次いで幕末・維新。その次は無いに等しい気がする。私も古代史は小学生の頃、学校で歴史を勉強し始めたとき興味が涌いたけれど、学ぶ歴史の時代が進んでいくにつれて古代史よりも戦国史の方に惹きつけられた。30半ば過ぎてからなんだよね。再び古代史が好きになったのは。何がいいって、我ら日本人のルーツはこんなにも古いというところから始まって、長い神話があり、その神話には真実と嘘が入り混じっていて、そこから真実を抽出するということが非常に面白いし、改ざんされているとは言え古代の歴史書もあるし、また同じように歴史書から本当の部分を抜き出すのも面白い。こんなに面白いのに、古代史は人気がない。残念だ心なしか、古代史の記事を書くにつれて、このブログはあまり読まれなくなってしまったような気がする。もともとそんなにアクセスが多いブログではないけれど...これまた残念だあ
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キタエンコ

今夜はネットラジオを聴いている。
キタエンコ指揮のライプツィヒゲヴァントハウス管である。

曲目
チャイコフスキー 交響曲第1番「冬の日の幻想」
           ロココ風の主題による変奏曲
           くるみ割り人形から抜粋

チャイコフスキーの交響曲第1番「冬の日の幻想」の第4楽章の終盤からしか聴けなかったが、凄くよかった。ロシア的であるにもかかわらず、意外にもあっさりしていた。そこが「冬の日の幻想」にぴったりくるのだ。
ロココ風については初めて聴いたので、なんとも言えない。
くるみ割り人形は非常に上品な印象を受けた。しかも、物語性を感じるという内容。

キタエンコ、なかなかやるではないか!(←偉そう^^;)
この指揮者は名前を知ってる程度で、あまりよく知らない指揮者であったが、これからは注目していこうと思う。
ゲヴァントハウス管も巧いね~^^

ネットでキタエンコのことを調べてみた。
この人は現在どこの首席指揮者も務めていないようだ。
ヒマなのかもしれない。
あまり人気ないのかな~.....
でも、CDはそれなりに出ている。
気が向いたら買ってみよう。
もちろんチャイコフスキーの曲を。

ところで、とうとう出ましたよ!
ネットラジオをパソコンで録音するソフトが。
とっくに出ていたのかもしれないが.....
私は知らなかった。
SOUNDENGINEというソフトです^^
以前、2、3回使ったことがあったのですが、録音機能は付いていなかったような気がします。
ネットで検索したらVectorであっさりヒットしました。
ネットラジオを録音したいという方、SOUNDENGINEはお薦めです。
もちろん、フリーの方を使ってます。
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纏向遺跡とヤマト王朝

引き続き森浩一先生が著した「倭人伝を読みなおす」を読んでいます。
で、第1章「倭人伝を読むにさいして」の中の第一回「纏向遺跡は卑弥呼の宮殿と決まったのか」について。
前回の記事は第4回「倭人伝を読む心がまえ」について思ったことを書きました。
今回は第1回ですので、記事が前後します。
この第1回はたった4ページだけなんですが、本書の「はじめに」に書いてあった通り「ゆっくり食べ物を咀嚼(そしゃく)するように」読んでいるのでたった4ページでも感想を書きたいと思います^^
たぶん、今後の記事もそうなると思います。

本題。
2009年11月纏向(まきむく)遺跡で宮殿と見られる建物の跡が発掘された。
3世紀後半から4世紀前半のものと推定されている。
で、これは女王卑弥呼の宮殿跡と強弁されたらしい。
しかし、森先生は冷静にこれは初期ヤマト政権の3代の天皇の宮殿跡と考古学的に見ても学者の脳裏に思い浮かぶのが素直な考えではなかろうかと指摘している。
女王卑弥呼なる人物が登場する歴史書は中国の魏志倭人伝であってそこには纏向とは書いていないのである。一方、古事記、日本書紀には書いてあるのである。
すなわち、記紀の記述を全て絵空事や改ざんされているなどと言い、史料としての価値を見出していない学者は日本の歴史書を軽視しすぎていると先生は言うのである。
同感である。
思うに、九州邪馬台国と初期ヤマト王朝は並立していたのではないだろうか。
そして、邪馬台国はヤマト王朝に吸収されていったのではないだろうか。
そこで、私が考えてしまうことは邪馬台国はヤマト王朝と戦いをしたのか?そして、負けたのか?それとも平和的に吸収されたのか?また、その頃、侮れない戦力を保持していた出雲との関係はどうだったのか?ということ。
考えれば考えるほど面白くなってくるし、自分なりの仮説を立てたくなってくる。
やはり歴史は面白い!
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倭人は文字を操っていたのか?

秋も終わりました。
前回の土曜日に撮った秋の写真を2枚載せようと思います。
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秋よ、さらば!

さて、日本古代史です。
え、また~!?と思われるかもしれませんが、好きなので書きます。
森浩一先生が執筆された「倭人伝を読みなおす」を読んでいます^^
倭人伝を読みなおす (ちくま新書)倭人伝を読みなおす (ちくま新書)
(2010/08/06)
森 浩一

商品詳細を見る


倭人伝には景初3年に魏の皇帝が倭の女王卑弥呼にあたえた長文の詔書(手紙)が原文のまま転載されている。
で、この詔書は格調高い文章でかつ倭人伝の中でも史料価値の高い個所であると先生は指摘する。そして、この詔書を例にとっても卑弥呼の宮廷にはそれを読める人がいたとも指摘する。また、北部九州の遺跡から漢字で銘文を表現した西暦紀元ごろから3世紀にかけての銅鏡が数百面出土していて倭人が少なくとも漢字に接していたことは明らかである。
というように森先生は倭人が漢字を読めたと考えているようだ。
私も同感である。
私は書くことも出来たのではないかと思っているほど。
というのも、以前の記事にも書いたのだが、景初4年の銅鏡が出土しているからである。また、その鏡には鏡を所有している人への効能(男が所有した場合と女性が所有した場合の効能)も鋳出し文字で記されているのである。
まず、景初とは魏の元号であり、3年までしかない。だから、景初4年なる鏡は存在しないはずなのである。しかし、日本には存在する。これは、中国の魏から見たら倭国は遥か離れた地であり、景初が3年で終わったことを知らなかったのであると思う。すなわち、倭国で景初4年鏡は作られたということ。
他にも裏づけとなる証拠がある。それは、景初は魏の元号であり、魏の敵国だった呉の元号ではないということ。何が言いたいかというと、鏡に記された効能について、魏の鏡には男が持った場合の効能は記されているが、女性が所有した場合の効能は記されていない。ところが、呉の鏡には男女それぞれの効能が記されているのである。
だから、この景初4年銘文の鏡は魏と呉のいいとこ取りのような鏡なのである。そのような鏡を作ったのは第3国の日本である公算が大きいと私は思う。そして、銘文について魏と呉のいいとこ取りをした倭人は文字を操っていたと考えられるのである。
我ながらいいとこついている気がするのだが...
少なくとも、邪馬台国内では漢字が使われていたことは確実だと私は思う。
無文字社会では絶対ないと思う。そんなのありえないと思う。中国や朝鮮と交流があったことも一つの証拠ではないだろうか。交流する際、片や文字を使って、もう一方は文字を使っていないという状況が何百年も続くとは思えないのである。
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倭人伝

ここのところ日本古代史の記事が多くなってきた。クラシック音楽を聴いていないわけではないが、あまり聴かなくなってきた。あ、そうそうチェリビダッケエディション第1集を聴き終えた。第9以外のベートーヴェンの交響曲を聴き終えたところでベートーヴェンの交響曲はチェリビダッケとは合わないと以前書いてしまったのだが、大どんでん返しが待っていた。チェリビダッケの第9が凄いのなんのって。演奏時間は78分もあるのに遅いという違和感はあまり感じなかった。交響曲第2番から第8番まではさほどでもないと思うのだが、もう一度書くと第9だけは凄かった。そのうち大したレビューではないけれどレビューを書きたいと思います。

それはさて置き、また日本古代史について。昨日から読み始めた本がある。森浩一先生が著した「倭人伝を読みなおす」という本。ただ、この本には断り事のようなものがある。それは、邪馬台国がどこにあったかとか卑弥呼とはどんな女王だったかだけに関心を持つ人はこの本は読まないほうがいいと書いてあるし、さらに、読んでほしくないとも書いてある。では、どんな内容なのかというと、本書の「はじめに」から引用すると、

「本書でぼくが描きだそうとしたことは、なぜ倭人伝であって、倭伝や倭国伝でなかったかという疑問に始まり、倭人伝全体の流れから読みといた壮大な歴史物語の骨組をえぐりだすことにあった。そこには日本の建国前夜の激動する物語が展開するのである。」

と書いてあります。
私などは、はじめにを読んだだけでワクワクしてしまった^^;また、はじめにの終わりでは「ゆっくり食べ物を咀嚼(そしゃく)するように読んでもらえれば幸いである。」とも書いてある。是非、そうさせていただこう^^

という訳で次回からは、この本についての感想を書いていこうと思います。というか感嘆のようなものになるのではなかろうか^^;
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富山ブラックラーメン ブルックナー交響曲第8番/カラヤンVPO

本日は富山ブラックラーメンなるものを食した。

DSCN1008.jpg


黒故障と丸大豆を使用して作られた黒しょうゆなるものを調味料としているのだそうだ。
麺は生麺が封入されていた。
とはいえ、インスタントラーメンに変わりはないので実際に富山で食べるブラックラーメンからは1段も2段も味が落ちるものと思われる。
尾道ラーメンで経験済み。
尾道で食べたラーメンは恐ろしく美味しかったのだが、お土産で買った尾道ラーメンのインスタントはさほど美味しくはなかった。
それはさて置き、下の写真が富山ブラックラーメンである。
光の加減でスープが黒く写っているのではない。
本当に黒いのだ。

DSCN1009.jpg


で、食した。
感想は、美味しいことは美味しいのだが、普通のしょうゆラーメンにコショウを多めにかけた感じの味だった。
やはりこういうものは本場で食べるに越したことはない。
たぶん、富山のお店で食べたらこの何倍も美味しいのだろう。

今回ご紹介するCDはブルックナーの交響曲第8番で演奏がカラヤン/VPOのものです。
本文は本体ホームページに書いてあります。
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天孫降臨の謎2

関裕二さんの説では邪馬台国の卑弥呼の次の女王となった台与(トヨ)は日本書紀の中で神功(じんぐう)皇后として描かれているとしている。そして、神功皇后と共に行動した武内宿禰(たけのうちのすくね)共々、天孫降臨のモデルになったと書いてある。関さんは色々と各地方での神社での祭りや言い伝え、さらには地政学をも考慮に入れて仮説を導き出しているので非常に興味深い説ではある。けれども、なんともこれは言いえているという感触が持てない。台与の登場した時代と神功皇后が活躍した時代は確かにラップする。しかし、台与(トヨ)と竹内宿禰が天孫降臨の主役ニニギノミコトであると言われてもしっくりこない。そこだけなのだ。その他の部分は大筋納得できる。

また、関さんの説は邪馬台国は九州説で、女王卑弥呼の後を継いだ台与は実は卑弥呼の敵で、卑弥呼を討ち取った人物であるとなっている。台与はいったいどこから九州の邪馬台国に来たのか?と思われるかもしれないが、それは畿内のヤマトからやってきて卑弥呼を打ち破り倭国の女王にすり替わったということなのである。台与に王権を横取りされ怒った畿内のヤマトは、その時代の中国の混乱に乗じて台与を九州の邪馬台国から追い出す。そして、台与たちは、逃げに逃げて熊襲(くまそ)のいる南部九州に辿り着いたというもの。本当に面白い説だ。それならば、一つ疑問に思うことは何故ニニギノミコトは男として描かれたのだろうか?ということ。女性でよかったのではないだろうか?と思える。天孫降臨の謎はやっかいである。簡単には解き明かせない。

読みにくい文章ですみません(汗)

それにしても、神功皇后の活躍は日本書紀や古事記の中で驚異の活躍をする。スーパーウーマンなのである。日本書紀や古事記を読んだことのない人には是非、読んで欲しい。日本の神話は非常に面白いです^^私は読みやすい本で読みました。

もう一度学びたい古事記と日本書紀もう一度学びたい古事記と日本書紀
(2006/06)
多田 元

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今回はCDレビューはなしです。
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作ってしまった...

FC2のブログジャンルの学問・文化・芸術の中にスレッドテーマ「歴史」はあるのだけど、ただの「歴史」では範囲が広過ぎると思う。世界史なのか日本史なのかで興味のある人が随分と違ってくる。さらに、日本史で言うならば古代の時代なのか、戦国なのか、はたまた幕末・明治維新なのかでも大きく分かれると思うのである。そこでスレッドテーマ「日本古代史」を作成しました。縄文時代から日本創世記を経て律令国家の成立する平安時代の手前までです。投稿よろしくお願いします。私もちょくちょく投稿していきます。
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プロフィール

kurt

Author:kurt
音楽好きで、クラシック音楽の作曲家・曲・CDのレビューを中心に綴ってます。
歴史についても思いついたように書くことがあります。基本、日本古代史です。
スポーツについても書きます。
グルメ?と絵も好きです。

性別:♂
好きな作曲家
ベートーヴェン
ブラームス
ブルックナー
マーラー
他多数

ホームページ(名曲、名盤、駄盤紹介)
ベートーヴェンD-minor
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